過去の法話へ | ||
平成24年11月21日 | ||
今年の柴灯護摩(さいとうごま)は、初めて雨の中でのお祈りとなりました。 「どうぞ雨を止まして下さい。」と祈るのも毎年の恒例になっていましたが、やはり流石だなと思いましたのは、 当日の朝に八大竜王さまへ参った時。その時だけは見事に雨も止み、お祈りをさせていただきました。 そして今年ちょっと違ったのは(正和)住職の、 「雨でもいいのよ。雨は雨で意義がある。」という言葉がもとよりあったこと。 竜王さまもその言葉を聞かれてか、結果としてお参りには手元足下と少し難儀がありましたが、 いつもとは違う、足下から炎が飛び出す丸太の上を歩く「火渡り」を皆さまにご修行いただけました。 仏さまの偉大さは、鋭い智恵と温かい慈悲のもとに私たちを導いて下さることです。 八大竜王の「恵の雨」によって悪いものは洗い流され、また仏さまお大師さまの導きにより、 普段には出会えない「ご修行」の縁を頂けました。 すべて、意味がある、意義がある。 それに気付くのが遅いか早いかそれだけのことで、 目の前に起きている事はすべて、自分の等身大のできごとなのです。 あなたの業と、いまの心の相、それだけなのです。 きづき 浅はかな、自分の知る限りの知識で私たちは物事を判断する。 殊に肉体を有する私たちは、自分自身に甘いものである。 いつも心臓は動いている。 感謝を尽くさぬ私たちは、自身の命(尊さ)にいつも気付かずにいる。 自分の意志で心臓は止まりません。 自分の意志で動いている訳でもありません。 宇宙の不思議、自然の不思議、体の不思議、心の不思議、 まだまだ人間は、 世の中のことを知っているようで、 小指の先程も自分の生きている世界のことを知りません。 なぜ心臓は動いているのでしょう。 私は神さま仏さまが、 生かして下さっているのだと心得ています。 だから心臓がドクッとなる度に、 生きなさい。生きなさい。ありがたく、感謝に生きなさい。 と全身に血液をながして下さっているのだと思うのです。 けっして私を 駄目にしようなどと思って、 神さま仏さまは心臓を動かされているのではありません。 じぶんのとうといいのちにきづいて 一瞬一瞬を。 私は命の本質(根元)をお大師さま、仏さまの境地に見いだして生きています。 自分の弱さにただ甘えるのでは無く、 もっともっと本当に、仏さま、お大師さまに寄り添い甘えていいのです。 |
||
平成24年11月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。 |