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 命の薪を燃やす
 
 「命の薪を燃やす」

 来月は柴燈護摩、火渡り修行です。
今月の法話では そもそも、このお祭り(修行)が何時から始まったのかをまずお話しておきたいと思います。

 もともとこの行事は、旧暦大正13年(1924)8月20日、お寺にご本尊様が勧請され、そのお祝いとして毎年旧暦の同日に入佛記念法要を行っていたものが少しずつ時期がズレて今時期になっています。

 弘元寺のご本尊は弘法大師。日切大師と呼ばれ親しまれており、
「日を切りて すがれば叶う ありがたき 大師の救い 及ばざるなし」と詠われます。もともとこの大師の尊像は京都仁和寺のもので、鎌倉時代の作と言われています。弘元寺開山の宥榮が石鎚山極楽寺の師匠宥心の導きにより、当時の仁和寺総長との縁から譲られたものです。ただ損傷が多かったので修繕彩色がその折になされました。

 さて20年程前までは、上から来る道は整備されておらず、現駐車場もありませんでした。ですからお寺の下の、ガードレールのある河口沿いに車を停め、5分~10分の坂道を皆自分の足で登っていました。
 それも40数年前になると福山港から歩いてとか、本当に細い道を車で参ったのだとか、村の人に道を聞き聞きやっと辿り着きましたとか。今でも道に迷って来られないという方がありますが、当時に比べると車にナビも付いていれば携帯もあるし、ご縁をいただきやすくなったものだと思います。それでもナビが変な道を示して来られないというお話を聞くと、まだお寺とのご縁、仏縁が無いのですね…と思うことがあります。

 「この登り坂、下り坂をお詣りするのが、私の修行道になって有り難いんよ。」そういった声が懐かしいものです。いまでも懺悔滅罪の修行の為にと、車をお寺の下に停めて、歩いて登られる方がいます。
「私にとっての修行道。日頃の罪を消してくれる」と少しの汗をかくのも とても良いことです。体を酷使してこそ五感(五官)は開かれますから。その際には、車をガードレール沿いの邪魔にならない場所に停めて、道沿いの箕島八十八ヶ所霊場の仏様があれば手を合わせつつ登ってください。
 また下からの道は普通車では登れません。軽四でも運転が上手な方でないと難しいです。Googleにも、そのデータベースの元になっているゼンリン地図にも車では登れないことを伝えていますが反映まで時間がかかるようで、未だに下の道から車で登れるように案内されます。下から来る時はぜひ歩いてお参りください。

 平成15 年(2003)には現本堂の落慶法要が行われ、千人近くのお詣りがありました。この時、秘仏のお大師さまの尊像が御開帳されました。

 平成16 年(2004)、柴燈護摩の修行が始まります。泰教の京都醍醐寺で修行した仲間たちが大勢駆けつけ、盛大に行われました。
それから段々と気候変動でしょう、夏が異様に暑くなり、気候の良い10月末、 24 節季でいう霜降の頃となりました。

 護摩というのは必ず木(薪)を必要とします。ここに深い意味が色々とありますが、自分の骨肉を燃やすのが修験道。ふと考えれば、私たちは刻一刻と自分の寿命を燃やしています。頑張っていても、ぼーっとしていても燃やしていますし、人生はあっという間です。芸術家でも、アスリートでも、仕事も同じ。
目の前のものに向き合い切ることができなければ何も気付けないし、分かりません。
 時に悪い因縁が自分を向き合うことをさせないことがあれば、向き合う以前に滅罪や懺悔、修行、写経をしたり、仏様にお灯明やお線香を立ててお供えするなど必要です。
よく先祖の悪因縁があって運勢が悪いんですと言った相談もありますが、その先祖を選ぶ自分の因縁を考えなければなりません。目の前にあるものは自分の映し鏡。絶好の修行機会です。お詣り修行ください。

令和四年九月二十一日


《10月 ご修行案内》
2日(日)「滝修行」 5時30分お寺出発
     「水子供養・地蔵護摩」 10時

21日(金)「お大師さま御縁日。お護摩。」
  ①10時 ②20時 どちらかにお詣りください
 写経奉納。祈願護摩木。先祖供養塔婆。

23日(日) ~29日(土)「前修行」5時~6時
29日(土)「大祈祷会」18時~
30日(日)「入佛記念法要」9時半~13時半
      「柴燈大護摩供」「火渡り修行」

詳しくはホームページをご覧ください。


 
   令和4年9月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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