過去の法話へ
 来世、再縁のお見送り
   「来世、再縁のお見送り」

 ここ最近、「お別れ」というものが多く、改めてお別れとは何なのだろうかと考えた。美しい桜の花、来年また咲くと知っているのに、散りゆく日々に触れてやはりさびしくなる。ひどいものだと、桜の満開になる前から、あぁこの花はすぐ散ってしまうと想像し寂しくしている。まだ花が咲いてもいないのに。
挙げ句の果てに、もうこの時期になると桜への想いなんぞ忘れてしまっているでしょう。そんなものだ。人間という生き物は。
まぁ多くの人にとって植物というのは愛でる対象でしょうから、一方的な思いというのはその実体や、あぁ儚いものです。

 ただこれが人間関係となると、そういったことではダメだ。が、かくいう私も薄情な桜とのお別れを済ませた後、お世話になった方々を先日お見送りすることとなり、大切なことは何であるかということを語らぬ師の口から教示いただくのであった。
4月18日は毎年恒例の三重県、水屋神社へ行き、神様の前で祝詞を唱え、境内地に祀られる和光観音さまの前で修験道式に線香護摩というものを修行する。敵味方無く霊魂を慰め、供養すること、また人と人が争わなくなる為にと始まった観音さまの祭典は、懇意にしていた宮司も8年前に亡くなったが簡単に辞めることの出来ずにいるものの一つである。宮司との約束みたいなものだ。思い出すと宮司の葬儀は8月22日。
21日弘元寺の夜のお護摩が終わって、明日はどうしようかと少し考えていた。年は離れているが僕らは兄弟のようだね、ハハハハハと笑う久保憲一宮司。
弟としてはお兄さんの葬儀に行かないという訳にはいかないのである。神道式、しかもお伊勢さまのお膝元、三重県ですから勿論葬儀にご遺体は無い。先に火葬を済ませて祭壇にはご遺骨と写真があるのみ。参列者はもういっぱいであったが、不思議と一番前が空いていて席を進められた。宮司が待っていたかのようだった。儀式は粛々と進み、最後のお見送り、親族の皆様は日の丸の扇を持って万歳三唱。最後は「弥栄、弥栄」と送るのである。
そうしたら外は大雨に大きなカミナリが落ち、まさに神なり、といったもので水屋神社、竜神様らしいものでありました。前置きが前置きではなくなりましたが、一つの出会い、一つの仕草や情熱的な言葉が、相手の人生のその後を変えるとはこういったもので、己の心にある思いを大切にし、真を込め、言葉や行動にすることが、どれだけ大切かを教わったと思うのである。

 そして4月19日は、ご主人いわく、「こんなに良い人はいない。こんなに良い妻はいない」と話される奥様の葬儀に助法として読経す。故人とは初めてお会いするのであるが、棺桶には御朱印帳がご遺体を囲むように入れられ、綺麗な死に化粧、お袈裟もちゃんと着けられて、仏さまの浄土に行く身支度を整えられていました。導師が、
「泰教さんに送ってもらえるなんて、この方も本当に仏縁、功徳を沢山積まれて来られた方なのでしょうね。じゃないとこんな修行した泰教さんに送ってもらえないでしょう」とお話くださる。ありがたいことです。私にとっても過去世からの何かのご縁だろう、と手を合わさせていただいた。

 またその日は続けて滋賀県古刹の石山寺へ。大学院生の時にお世話になったものの、葬儀に参じること叶わなかった鷲尾遍隆座主の追善に。奈良時代創建のお寺であるが、先日ご息女の龍華さんが女性として初めての座主に就任された。未来を思うに喜ばしいことであり、座主様への供養は何かと考えると、すなわち座主の想い、願いが叶うこと思い、密かに祈念するのであった。

 そして日も暮れたが、、本当にお世話になった善光寺大勧進、瀧口宥誠貫主が急逝され、比叡山坂本の御自坊にいらっしゃると聞いて私は足を運んだのである。
門前まで行き、さすがにこの時間、外で少し読経し終わって、明日また来ようと一度は駅へと歩くも、あぁ後悔してはいけないと、ご迷惑やと思いつつ引き返して御玄関を打った。一応、不安に思って易を立てていたのである。占には善人が良き取り計らいをしてくれると。
案の定、先生のお弟子さんが御丁寧に、またご子息も出迎えくださった。私のことも覚えてくださっていて、先生のご尊顔を拝することが叶った。生前の先生が大般若理趣分を読む如く、私は理趣経を早口に唱え、深々と礼拝する。

 自分の予想を超えて淋しく、落ち込む気持ちになったが、
「気にすることは無いよ。あなたが頑張っていれば、あなたの心のなかで私は生きることができますから」と言われたようだった。先生のことだから実際に霊体としてこれからもご活躍されることでしょうが、、。 

 そして昨日は法を授け頂いた京都随心院の亀谷暁英 前門跡さまの御弔問へ。三日間で四方のお見送り。更にコロナで遠退いていた市民病院の傾聴ボランティアも再開して欲しいとの一報があり、病院でお見送りした方々をまた思い出す。
そうすると自分が日々に、一所懸命になり、己の役割を全うすることこそが、ご先祖さま、両親をはじめとし、出会った方々の生命を、またこの世に長く生きられなかった方々の炎をこの場所に生かすことが出来るのだと小さな悟りを心に灯すのである。
そのように生きていれば、来年また見る桜花のように、来世で、
「淋しかったよ。また会えましたね」と見送った人たちとも話ができるものでありましょう。    合掌


令和四年四月二十一日
《5月 ご修行案内》
1日(日)「滝修行」 5時30分お寺出発
     「水子供養・地蔵護摩」 10時
10日(火)「大黒天 一時千座法」23時
16日(月)「弁才天 護摩」 20時
21日(土)「お大師さま御縁日。お護摩。」
   ①10時 ②20時 どちらかにお詣りください
    写経奉納。祈願護摩木。先祖供養塔婆。
26日(木)「三宝荒神供」20時

6月5日(日) 「放生会」午後 


 
   令和4年4月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


トップページへ

戻る