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 600巻の大般若経がやってきた
 
「六百巻の大般若経がやってきた」

 江戸時代の『大般若波羅蜜多経』六百巻がご縁あって弘元寺へ運ばれてきた。
由緒あるものだが、ずっとしまってあったのだろう。少しかび臭い。また虫喰いも数巻ある。
土用の虫干しといって経典や衣などを夏の日(陰)に干して風に当てる習慣があるが、それも永く行われた形跡がない。経典は読んで、考えて、理解して功徳が生まれる。

 家族、会社、恋人。対人関係も一緒だと思う。相手のことをよく見て、聴いて、考えて、理解が生まれて良い形に収まっていく。何となくではなく、しっかり見つめること。何でもやりきることが大切である。

 仏教経典が面白いのは功徳の発生に様々な形があること。
たとえば読んだら、考えたら、手に取ったら、聴いたら、見たら、写したらと経典によって功徳の生まれ方が違う。仏さまにおいては、名前を呼んだら、手を合わせたら、お辞儀をしたら、正しい生き方をしていたら必ず助けてくれるなど、これも色々ある。

 救済の形が様々あるのが大乗仏教。そういえば、
「先生起きてますか?」とずっと下を向いている九十歳の頃の大先生(祖父)に対して、ご相談の方が問いかける姿を思い出す。大先生は寝ておらず、
「あなたにどう言やぁええんか考えとるんよ」と、そんなやりとりが懐かしい。

針の穴に通すように、弓を射るように真剣になって相手のことを考えることが人間どれだけできるか。自分はどうだろうか。

 『大般若経』六百巻にはすべての存在(衆生)を救済する為に説かれた大乗仏教の基礎の教えが書かれている。ともかく仏教は経典が多い。旧約・新約聖書が66から81巻なのに対し、数が多けりゃ良いというものではないが、
大正時代より日本で編纂された『大正新修大蔵経』に収録されたものだけでも約一万二千巻の経典がある。これはひとつの決められた神からの啓示ではなく、仏教が生きる人間の個々を主体とする教えであること。あくまで主体は生きる人間である。
だから発想、視点も多様であり、個々の生命そのものをそのままに尊ぶことができるのだ。そして私たちは佛の智慧、教えをもって真理を追求する。

 『大般若経』は唐代の三蔵法師玄奘が16部600巻にして漢字に翻訳。玄奘は西暦629年に陸路でインドに向かい、645年に657部の経典などを持って帰還した。今日ある膨大な仏典、ここまでの数が完成するのにいったい何人の僧侶が命、人生を懸けたのだろう。

 仏教は現代の世間一般の人間が考える「宗教じみたもの」ではなく、真理と生命、生きる哲学と修行法を説いている。自分さえ良ければいい、楽して生きたいという考えが増えているが、仏からすれば気の毒な生き方である。
すべては繋がっているのにどうして孤独であろうとするのか。慈しみを起こすのが良い。自分の人生を、自分の為だけにしか使えないというのは自然の道理に適ってはいない。命を燃やせるものがあることは幸福である。目的が無い、見いだせないのも辛いことだ。仏が輝いているのは真理の道があるから。そして誰もが救われて欲しいと智慧が働いているからである。
成熟した魂は他者の悲しみを自分事にして同じように悲しむ。例えば涙もろくなるのも体が老いて涙腺が緩むだけでは無いのである。現代語で言えば共感力がハンパないのだ。

            令和二年八月二十一日


~おしらせ~
※ 今年の柴燈護摩は感染予防から中止です。

《行事案内 8、9月》
23日(日)「藺草の苗わけ」 朝9時~ 火曜日まで
3日(木)「毘沙門天」 朝5時半
6日(日)「滝修行」お寺を5時出発 加茂5時半
「水子供養・地蔵護摩」10時
17日(木)「大黒天」 23時
21日(月)「お大師さま御縁日。お護摩。」 20時~
    写経奉納。護摩木。先祖供養。
23日(水)「弁才天 護摩」 20時

※『大般若転読祈祷会』11月1日
 疫病退散、社会の安寧を祈り修行します。
 また別紙にてお知らせ致します。




「宥善和尚の人生を振り返って⑦」

 昭和15年12月1日、「福山歩兵第41連隊(補充隊第一中隊)」に入営する。
(兵営は現在のバラ公園辺り) この時、20歳。
少しでも人を殺さなくてよいようにと衛生兵に志願。和尚、本当は医者になりたかったらしい。

 昭和16年2月、島根県浜田市に兵営を置く連隊に転属。
衛生一等兵となる。
第39師団への転属要員として、広島県宇品港を8月に出発、上海に上陸する。

 車で移動したのだろう。
上海から約830㎞の現:湖北省武漢(漢口)へ、
更に西へ250㎞の現:荊門市へ移動する。

 第八中隊に入隊し、9月19日から「湖北作戦」後の警備に当たること2ヶ月。
次いで「第二次長沙作戦」に3週間の参加。
 12月には衛生上等兵となった。

 昭和17年10月、當陽県仙人砦(現:当陽市)へ移動。
ここには玉泉寺という大きな寺がある。
和尚は隊を代表して協力を仰ぎに僧服を着て寺に入った…

つづく

 ※戦時中のことは、和尚の話と「軍歴等証明書」をもとに書いています。
この証明書は各都道府県にて申請が可能なものであり、
広島県では「建康福祉局社会援護課」になります(名称が各府県で違います)。
自分のおじいちゃんたちがどのように戦時中を過ごしていたのか、調べてみるのもいいと思います。
   令和2年8月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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