過去の法話へ
 「心と家を浄めながら、年末をお過ごしください。」
 
 人生の終わりが来世への始まりであれば、
 夜の終わりも明日への始まりである。
 
あなたという人間がただ一人で存在しているということはなく、
あなたの先祖、親、友人が、
あなたが好きな人も、あなたが憎い人も、
あらゆる存在が、そして自然界が、
認識できる空間と認識の及ばないものに及ぶまでが、
また過去と未来という時間があり、初めて、いま
あなたをあなたとならしめている。
 
 あなたは決して、あなたの頭の中だけで生きることを選ぶべきではなく、呼吸をゆるめ、心をしずめ、確かな五官によって物事の本質に向き合うのが良い。一時の怒り、感情、過去の記憶をたどって目の前のことを決めつけてはいけない。
 
 たとえば過去の失敗をあなたが未来においてまた繰り返すとは限らず、恐れてはいけない。
昨日は昨日で今日は今日。諸行無常とはかく言うことだ。明日は明日。時間は常に流れている。
 
 普段、老いている実感しか得ないものだが、体の細胞はこの瞬間にも生滅を繰り返していて、常に新しく生まれ変わっている。私たちはさらに自分の心音さえもよく知らないでいて、自分のことを私はこうだ、またはあなたはこうだと頭の先っぽだけですぐに決めつけている。
 
 あなたの思考は昨日のまま。遠い過去のままにして、新鮮なこの瞬間を味わいきれてはいない。そうではなかろうか。何かを成し遂げる喜びは別として、この瞬間の喜びを得るのに、過去の経験値や知識はあまり必要ではない。むしろ過去に引きづられない精神力を育てたほうが良いもの。
 
 ただこの瞬間に意識を凝らして得られる感動、喜びがある。それをまた深めれば覚りというものがある。目が覚めるような感覚となるから、覚り、と書くのだが、それは何とも味わい深いものであるそうだ。感動とか喜びとかそういったものも越えてしまう。呼吸をしずめて素直に素直に。心をひろくして過去や未来に囚われず。そうすれば、
未来の恐ろしい人には幸いが、
未来に安心のある人には大きな目覚めが訪れる。
 
どうして訪れるのか? 幸いが訪れる行為をすれば必ず訪れるものである。もちろん時間の長短はあるだろうが悩む時間があれば信頼できる師を訪ねて、仏に、仏の教えにまずは帰依するのが良い。
 
 さて、かの仏教の真髄を説いた
 
「七仏通戒偈(しちぶつつうかい)」を紹介。
 
諸悪莫作(しょあくまくさ)     一切の悪いことをしない
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)  あらゆる善につながるを行え
自浄其意(じじょうごい)      心を浄化せよ 
是諸仏教(ぜ しょぶつきょう)   これが仏のおしえである

これはお釈迦さまとそれよりも過去に仏となられ方々が共通して説かれた教え。
仏教の教えは難しいが結局これに帰するのみという。

心を浄化するとは何ごとでありましょう。
年末大掃除をしながらどうぞ考えてみてください。

 あらゆる身勝手さとは反対にある行為の連続性のなかにきっと心を浄らかにする道があると、そう思う。「私の心はしあわせな未来に向かっている。
眠りにつく時は、感謝と、あらゆる縁との喜びの中に私はある。守り、守られ、すべてと大調和し、光輝かせていただいている。」と口にして…
また新年も素晴らしい年明けとなりますように。


   日切大師弘元寺 平成三十年十二月廿一日



   平成30年12月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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