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 「 この世とあの世を考える(四)」
 
 今月は浄土と仏さまについて。

 《浄土》と言えば阿弥陀如来さまの西方極楽浄土を思い浮かべる方が多いと思います。しかし文字が思い浮かぶだけで実際に仏さまのいらっしゃる浄土が面前にブワァーっと現れるような方がどれだけいらっしゃるでしょうか。 例えばそれは身近に「おはようございます」「さようなら」と毎日使っているけれど、その言葉の意味となると実はよく知らないのと似ています。 いつかまた往く「死後の世界」、「浄土(仏の世界)」、仏さまのこと、私たちはもう少しよく知っておいても良いでしょう。

 私たちが生きているこの世は、煩悩に濁って、迷いと苦しみに廻る世界であることから「穢土」と呼ばれ、仏さまの住まわれる世界はみな浄らかであるから「浄土」、また「仏国土・仏土」と呼ばれます。浄土は仏さまの《誓願》と《修行》により建てられ、《仏の心がまさに清浄であるが故に浄らかな仏土(浄土)となるのだ》と言われます。
補足的に仏土と浄土の違いについて説明を加えれば、この私たちの住む穢土も仏の住まわれる世界であるのだから仏国土である。そういった意味では、浄土は仏土よりもう少し積極的な私たちが教えを聴き、さとりを得、成仏する為の修行の場である、如来の説法を聴く場所であると区別されることもあります。ただ先にも書いたように、浄らかな心である仏のいらっしゃる場所は、みな清浄な世界、浄土となるのです。浄土が仏さまの数だけあると言われる所以はこのことからですね。

 さて主立った浄土を挙げてみましょう。
東・アシュク如来の「妙喜世界」。
東・薬師如来の「瑠璃光(浄瑠璃)世界」。
北・釈迦如来の「無勝荘厳国」。
 毘盧遮那如来の「蓮華蔵世界」。
 摩訶毘盧遮那如来の「密厳国土」などあります。

また阿弥陀如来の「極楽浄土」を「安楽妙世界」と呼ぶこともありますし、
その他、アシュクを無動、阿弥陀を無量寿と呼ぶなど、仏さまには別名も沢山あります。
もっと色んな浄土とそこにいらっしゃる仏(如来)さまを知りたい方は、
『仏説不思議功徳諸仏所護念経』(『大正新修大蔵経』第十四巻)を。
沢山の仏さまを知りたい方は『仏説仏名経』(同十四巻)を。
このお経にはなんと過去・未来・現在の三千もの仏さまが羅列されています。

冒頭には、「この仏さまのお名前を受持読誦すれば罪も消滅するし諸難からも逃れられる。未来にはさとりも得られる。長跪合掌して唱えなさい云々」とあります。長跪は毎月3日の毘沙門天さまのお祭りの時、初めにするあれのことですね。

 これは余談ですが、ザッとお経に目を通すなかで見た長い呼び名には
「(南無)不可思議荘厳普荘厳光明世界無差別智光明功徳海佛」というのもありました。
また目を引いたのは、
「最高のさとり(阿耨多羅三藐三菩提)を求める者は、まず初めに一切もろもろの罪を懺悔しなさい」と説かれます。

 仏さまのようになるのには自分の罪に向き合うことが大切であるのだと分かります。
十善戒の罪(守れず)を思い返すのも良いでしょう。また、
「仏を礼して懺悔をするのには必ず最初に三宝(仏・法・僧)を敬わなければなりません。三宝はすべての生きる存在の良き友であり、福徳そのものである。心から頼り、信じ、おすがり(帰依)すれば罪は滅し、福を得、生死の苦から離れ、解脱の楽を得る。よって仏の弟子たちよ、十方の尽きぬ虚空界すべての如来(仏)、尊き真理(法)、大菩薩たち、仏の教えに従う人々(僧)に帰依をしなさい。そうすれば…」とあります。続きも含めて平たく言えば、ご利益、真実の功徳は三帰依無くしてありません、と。

この文章を読み解けば、大菩薩たちも三宝の内の「僧」に当たるようです。
中国・日本では一人の僧侶を指すように使われていますが、もともとインドで「僧(僧伽)」とはサンガ(出家修行者の集団・教団)を指していました。つまり三宝の僧は修行集団を意味するもの。ですから「如来(仏)」に対して修行をする大菩薩たちは「僧」の部類に入れられているのでしょう。
そもそも菩薩とは「さとりを求める者・修行をする者」を指します。
ですから仏の修行をするならば私たちも《菩薩》なのです。
《大菩薩》の僧(サンガ)とはお地蔵さまや観音さま、不動明王さま方のグループを指すわけですね。

続きはまた来月。


   平成27年11月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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