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 わたしのカラが壊れて 
 

「わたしのカラが壊れて」

私の殼が壊れて
昨日まで
あんなに遠かった あの人との距離
今日、わたしはドンッとなくなった。
瞬間、神さまも 仏さまも あの人も わたしも
いっしょになった

あんなに遠かった あの人との距離
なんだ
私があの人との距離を作っていたのだ
と、そのことを知る
と、
途端に悲しくも無いのに涙が流れ
悔しくも無いのに涙が流れた
不思議と嬉しいでも無いのだ。
涙が流れた。

それを越えている何かが
私に涙を流させている

わたしは大切なあの人と いっしょになった

神仏もご先祖もあの人も私も無くなって
私の体はいっしょになった

あの お経の声と
太鼓の、たった一音と共に。

ガラガラ。私の苦るしみは音を立てて消えた

この一瞬だけ

だがこの一瞬が明日の私に生きろと
勇気を与えてくれた

令和六年十一月二十一日


 先日、父の死をどうしても受け入れられないというご相談者がお参りされ、いつものように朝から数時間、お話をさせていただいた。ご本人が気になっていること。
どうも腑に落ちない。つっかえているもの。どうせ他人に話したって私のすべては分からない。そんな絶望を乗り越えて、相手に自分のことを話せた時、人はまた生まれ変わっていく。
 ただ私たちは誰かにとって信じられる存在として生きられるよう、日々を振る舞うことも大切。子や友人、孫たちはあなたを見ていますから。あなたの深い愛情が世界を変えていくのです。 今月の詩は谷川俊太郎さんの菩提を弔うと共に、これまで出会ったすべての人のことを想い、書いたものです。 いつもご相談者の方とは何時間も、お話をするのですが、お経を一緒に唱えること、これに勝るものはありません。 いくら言葉を並べても この世の真理は頭の先だけでは分かりっこなくて、ガーンと全身を打つほどの祈りをささげれば、
ガラガラがらーっと自分が砕けると同時に宇宙と一体化してしまう。
 私たちはいかに日々、頭の先だけ、言語に囚われ、自分と他者を分けて、他人を罵ったり、傷つけたり、自分を貶めたりしているのか。私たちは内省しなければなりません。
お寺や山、清浄な場所で、心を静めてみれば良い。
ずっと頭の中で考えるだけの煩悩を捨ててください。体を動かしてください。
 大切な人と一緒にいることに初めて気付いたご相談者は、あぁこれが祈りなのか。祈る事 供養をすることが 亡くなった人のためであると同時に 自分の為であり、また子孫の為であると知るのでした。
 
良い先祖にあなたはなれますか?
成る努力をしていますか? 
お葬式、お墓、子どもたちとの会話、孫に遺す言葉。
自分ひとりの幸せを生きてはいませんか?
あの世にいる両親に祈っていますか?
自分で自分を孤独にしていませんか?
血が繋がっている、繋がっていないに関係なく、
動物、植物、昆虫、魚、大空。この世も、あの世も
いのちはつながっているのです。
祈ったら、分かります。

あなたの殼が壊れることを 私は仏さまと一緒になって
今日も祈っています。 あなたが癒やされますように。


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   令和6年11月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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