過去の法話へ | ||
「修験道の世界から」 | ||
深山幽谷の響き。人里を離れた場所でただ自然の音を聴くと 自分がこれまで知らなかった響きに出遭います。 私はこれが仏さまの教え(説法)に他ならないと、いつも思うのです。 お慕いする修行者の一人、螺雲先生より、 「泰教さんの修験道の世界観はいかがなものですか?」と尋ねられ、 お大師さまの御著作『声字実相義』が頭に浮かびました。 五大に皆な響きあり 十界に言語を具す 六塵悉く文字なり 法身はこれ実相なり 五大とは「地大、水大、火大、風大、空大」、この世の万物を構成する物質的、そして精神的な要素をいい、十界とは「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、佛」の迷いから悟りの世界を十に分けた世界をいい、六塵とは「色塵、声塵、香塵、味塵、触塵、法塵」をいい、 法身とは「真理そのものの仏のあらわれであり他には説きえない教えの世界を表現されている法身と、現象世界の究極地において菩薩らのために法を説く姿の表れである報身と、報身の説法に遭えない修行者らの為に表される応身」との一つをいい、 実相とは「如実の相」をいいます。またこの実相を法界とも畢竟智ともいいます。 天台宗などの顕教では諸法実相(あるがままの本当の相)を教え、 真言宗ではもう少し踏み込んだ声字実相(法身仏の働きと衆生が本から具えているマンダラ)を教えます。 ちょっと難しい話ですが、凡人にとってはあらゆる表現や溢れる色や音は迷いとなり、そして囚われるものになるですが、聖者にとってはその一つ一つさえも仏の真実身の活動そのものとして捉えられ、さらに平等に行きわたる如来の働きに、奥底に眠る私たちの仏性(さとりの本源)が目を覚ますのです。 お大師さまはこの著作の冒頭に、 それ如来の説法は必ず文字に籍る。 文字の所在は六塵その体なり。 六塵の本は法仏の三密、即ち是れなり。 と説かれます。この御著作は「如義言説」、「すべては仏の三密である」ことを説かれているわけですが、とても簡単に言いかえれば、 「一切を包み、貫く、法身仏の有りと有らゆる呼びかけ、ささやきに気付きましょう。私たちに対する仏さまの加持の現れを観じましょう」 というお大師さまの呼び掛けであると私は思っています。 深山幽谷は人が踏み入ったこともないような深い山の静かな谷。仙人が修行するような場所ですが、凡人の心の喧騒を離れた境地はお金では買えないものです。心が悟り(真実、実相)を求めない限り、出会えぬものです。 またお大師さまの体験された境地は神仏に手を合わせ、真言を唱えぬ限りは得られません。修行専念のご本尊、不動明王に生命を懐かれて、山で滝で修行しましょう。 明日の朝5時よりの一週間修行。 皆さま、一度は早起きをして仏さまの説法を体験しましょう。 日々の騒がしさから離れ、本当に大切な声や音を聞き漏らさぬようにいたしましょう。 合掌 螺雲先生 「山人犬の会」ホームページはこちらから 令和五年十月二十一日 《 行事の案内 》 22日(日) ~28日(土)「一週間修行」朝5時~ 28日(土)「大祈祷会」19時~ 御加持を受けられます 29日(日)「入佛記念法要」9時半~14時 「柴燈大護摩供」「火渡り修行」 11月3日(祝/金)「倉敷、由加神社で柴灯護摩」 7日(火)「弁財天 護摩」20時~ 12日(日)「滝修行」朝5時お寺出発 第二日曜「水子供養・護摩」10時~ 21日(火)「大師御縁日 護摩」10時~、20時~ |
||
令和5年10月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。 |