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祖父宥善四十代の言葉 | ||
初めてお寺へ相談に訪れたのは昭和39年のことでした。 ご相談の老夫婦は懐かしいお話をしてくださいました。当時の祖父宥善の年齢は44歳くらい。 今の私よりも少し年上です。家を建てる相談に来た当時29と28歳の夫婦に対し、寺にいた祖父はそんな話をしていたのだなと思いを寄せ記します。 ○宥善…あんたの先祖には、よく徳積をした者がおる。それはええことじゃ。それがあるから、あんたらは曲がりなりにもよく暮らせておるんよ。じゃけれども、あんたは金が貯まらんじゃろう? あんたら(あなた方)夫婦はな、先祖の徳もよくもらっとる。 ▽はい、先祖の墓にもよく参るんです。 ○宥善…うん。しかしな、せんでええことまでやっとりゃせんか(しなくて良いことまでしていないか)? ▽そりゃ、どういうことでしょう。 ○宥善…家族の誰よりも墓に参る。そりゃ確かに良いことじゃ。が、その分な、本家の仕事を取るほど墓に参れば、本家にとっての徳積が出来なくなるということがあるんよ。 そればかりか、本家が墓に参らないから、先祖はあんたらを頼るようになる。そして良い因縁だけ貰えば良いが、良いも悪いもどっちも貰うもの。悪い因縁まで貰うもんなんじゃ。 つまりな、あんたらは分家なんだから、出過ぎたことをするのも問題になることがあるんよ。 じゃからな、分家として、自分たちの墓を持ちなさい。最後にも、本家の墓には、あんたらの骨は入れんでしょう。そのあんたが参っとる墓は、本当は本家の者がしっかり見んといけんものなんよ。 死んだ者がおらんくても、先祖はおるんじゃから、あんたらは、あんたらの墓を建てる、そして家を建てたら仏壇も持つんよ。 あんたらが初代になると思って、まず自分たちの墓を持ち、それで墓に何も無いのもいけんから木製の五輪の供養塔を建っておきなさい。そこにはお祖父さんお祖母さんの、先祖の戒名を入れて建てるんよ。 それから家を建てなさい。 そして家を建ったら、まず人間様より、神棚、先祖、仏壇から入れなさい。そうすると家に筋が通り、繁栄して行くんよ。 ◇信者さんは私に語る。 こういうお話をいただいてね、誠に良いこと言われている。私はもうこの方を信じよう、っと思ったんです。それからずっと何かある毎にお伺いにお寺に通わせていただいて、有り難いことです。(副住職の)お祖父ちゃんには本当に可愛がってもらって。私の人生、本当に感謝しています。 それで、うちは日蓮宗なんですよ。 ○寺なんですが、私の祖父母は昔、修行の上人様が歩いていらっしゃったら、 「今日のお宿は決まっていらっしゃいますか?」と尋ねて、家に招いて食事を用意し、風呂を沸かし、出発の朝には握り飯を準備して。当時はワラジですから、祖母は草鞋を編んだり、準備して、そういったことをしとった。そういう話を当時に近所の方から聞いて、弘元寺の宥善住職にお話したりしてね。 そうでしょう。あんたの先祖はそういう人なんよ。徳積をよくする人なんよ。だから、あんたらも頑張りなさいと言ってくれてね。 ○宥善…それで、あんたらの先祖はよく徳積をした者がおると言ったが、先祖の夫婦がスコップ一杯ずつ、一杯ずつと、よく徳積をしとる。 しかしな、その子孫が何の徳積もせんでおったらな、いま子孫の20人が先祖の夫婦が一杯ずつ徳積をした山をどんどんと取って行くだけのことになっとるんよ。 そうしたら次第に行きゆかなくなって潰れてしまう。じゃからな、ひとり、ひとりが徳積をする術を考え、持たんといけんのよ。そうせんと、子孫に残す徳分も無くなるし、そればかりかもう先に、先祖の徳積分が無くなってしまって、あんたらの夫婦で、先にダメになってしまう。そんなものなんよ。 それでな、あんたらは皆、墓に参っとるか?先祖を大切にしとるか?と訊けば、 「やっとります」と皆答える。 しかし、口だけなんよ。本当のことは行動で示さんといけん。 ほら、歌でもあるでしょう。 「態度で示そうよ~」と。 例えばな、ニコニコした顔で近づいて来る人がおる、しかしニコニコしながら胸に隠したナイフでグサッと刺すような者もおるんよ。同じようにな、ニコニコしていたって、それだけでは駄目なんよ。態度が良くなけりゃあいかん。ちゃんと行動で示さんといけんのんよ。だからな、口さきだけでなく、行動しなさい。 性根を入れてやらんといけん。 ◇信者さんは私に語る。 それで、私の兄弟全員が、墓を持って、供養塔を建てて、順に家も建って。あの頃は諺で、30で家建て、40で定まるみたいなことを言って、お金も無かったけれど、どうにか兄弟皆が上手くいった。墓を持つことの大切さを教えて戴きました。 塔婆も、初めはここの宥善住職にしていただいたのですが、私も大工の見習いみたいなことをしていたので、あなたなら自分でどうにか塔婆を彫れるでしょう。やってみなさいと言われて。 それで、あなたの本家の檀那寺は日蓮宗だから、今度はそこの住職さんに頼みなさい。これからお世話になるでしょう?と教えられました。 お写真を見るとね、もう懐かしくなります…(涙)。 ありがとうございました。 「幸せなら態度で示そうよ~」という歌は、皆さまご存知、坂本九さんが昭和39年(1964)に歌ってヒットした曲。 ちょうど東京オリンピック開催の年のことでした。そしてこの昔話を古い信者さまからお聴きしたのも、令和の東京オリンピック開会式の翌日のことでしたから…より感慨深いものでした。 1964年。祖父が40歳半ばの頃のお話でした。 同じような年齢で、祖父がどのような態度、言葉を選んでいたのか、今の自分と比べてみました。 私も「とにかく他人様の為に祈りなさい。働きなさい。」という教えを貫き通したいと思います。 また祖父母、先祖の写真が飾ってあると、 「あぁ頑張らなきゃな」と自然と励まされるものですね。 訪れた老夫婦のお名前が祖父宥善の戦死したお兄さんと同じ名前だったのも、 当時の祖父にとって、何か思いがあったのではないかなと思った。そんな、今日の、法話でした。 令和三年八月二十一日 |
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令和3年8月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。 |