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「神仏はおられる」 | ||
牛に引かれて善光寺(長野)の貫主、瀧口先生は 辯才天、宇賀神さまを熱心に祈られる方ですが、 「自分の願いは神仏にしたことがありません。 私が拝むのはみんな他人さまの願い。それをずっとお祈りしてきました」とお話されます。 そんな先生、何か大変なことがあってもよく口にされるのが、 「私はあまり不幸と思わないんです。幸せも求めていないから(笑)。 村上さんも、そう思いませんか?」と仰います。 皆さまはいかがでしょう。ひとつ あなたの不幸事を上げてみてください。 そのことの実体が、 自分が求めているから苦しくなっているならば、いっそのこと手放したほうが良い。 手放せば、心も体も軽くなります。 道理を知ること。自分の人生の意味や、 自分の人生の目的地を見いだせると、なんと楽なことでしょう。 だいたい人間は今生のことだけ考えているから、道に迷うし、欲に迷うのである。 自分に過去世があり、今この現世があり、死んだ後の来世があると掴んだならば、いま生きている自分の価値や、自分の人生の目的がもう少しハッキリと見えるようになるもの。 今生のことだけ考えて、お金を儲けることだけ。 後に続く子孫や、これからを生きる若者たちに足跡を残さず、 地位や名誉、名前だけを残そうと躍起になっている自分。 そんな自分はいないか。確かめて欲しい。 自分のことしか考えていない思考であるならば、 結局周りに集まってくる人間も、 つまらない者ばかりになってしまうというのが世の法則というもの。 人間は弱い。だからこそ、誤魔化したり、小さな嘘をついたりするものではない。 小さな「まぁいいか」こそ一番怖いものである。 ひとつ、きちっとした信仰を持ちなさい。 ただ寺や神社に参れば良いというものではありません。 神仏はおられる。 そのことに気付くことから、神仏を感じることから始めましょう。 「結縁潅頂のすすめ」 これを読まれている多くの皆様には、 何度も結縁潅頂に入られた方もいらっしゃるかと存じますが、いかがでしょう。 もう仏さまがいらっしゃる、お大師さまがいらっしゃる と心から思える体験をされたでしょうか。 いくら拝んでも、寺に参っても、いらっしゃると思えていないのならば、 それはまだまだ自分のことしか考えられていない心のままなのかも知れません。 結縁潅頂は 今のあなたの心を表す仏さま、 今のあなたに必要な成長を示す 仏さまと結ばれるから不思議なものです。 初めてご縁を結ばれる方は どうぞ楽しみに、かつ身心を清めて臨んでください。 この度から、 縁を結ばれた仏さまのお姿を筆でなぞる「写仏」をしていただき、 その写仏を御守りのようにしていただければと思っています。 また弘元寺において伝法潅頂という、一人前の密教僧侶、阿闍梨を誕生させる儀式を結縁潅頂の前日に行います。これは大変喜ばしいことであり、この世に菩薩さまを生みだすものになります。まだまだ未熟な私たちですが、これからもお参りの皆さま、ご縁ある皆さまのお役に立てられるよう祈り、精進していく所存でございます。 感謝 合掌 日切大師弘元寺 平成三十一年四月廿一日 《 お知らせ 》 四月三十日「陛下御譲位(退位)」 五月 一日「新天皇陛下 御即位」 弘元寺においても両日にお祈りさせて頂きます。。 《 五月 お祈り・行事案内》 3日「毘沙門天」 朝5時半 5日「水子さま/地蔵護摩」10時 6日「三宝荒神」20時 21日「大師縁日の護摩」 20時 写経奉納・月参り日 26日「大黒天」 ※24時から 30日「弁才天護摩」20時 《 結縁潅頂(けちえんかんじょう)のご案内 》 今の私にご縁のある仏さまに出会える、真言宗における最も尊い儀式 6月29(土)、30日(日) 胎蔵界 ・これまで仏縁の無かった方、 時代の変わる、この時にご縁に預かってください。 《今月のひとこと》 戦場で多くの敵を倒すよりも、 自分の煩悩にうち勝つことのほうがもっと難しい。 その煩悩にうち勝ったものをブッダ(仏)という。 『テーラガーター』「スニータ長老の告白」 |
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平成31年4月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。 |