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祈りのちから | ||
「祈りのちから」 心筋梗塞となった患者を無作為に選び、キリスト教信者に祈ってもらった患者と何もしなかった患者を比較したという論文が医学雑誌にある。 また近年、祈りと遺伝子の研究も進められており、二万三千ある遺伝子の中から宗教的遺伝子の特定や、祈りの空間にいることによってその遺伝子が自然と現れるといった現象報告もあります。ある仏教学者はこの遺伝子上に現れる現象をもって如来の加持力の一つと言っても良いのではないかと論じます。 先の心筋梗塞と祈りの調査ですが、患者には祈りの有無を伝えず、その結果を比較した所、明らかに祈りのない患者よりも祈ってもらった患者の方が良い結果を得ているようです。 最近同じように心筋梗塞で倒れ、すぐに祈祷して下さいという連絡が寺にあった。私はあぁこれは大丈夫。祈ればすぐによくなると直感的に思いながらも、よく寺に詣られる方であったので、顔が分かると祈りやすいものです。お寺の行者さんにも一緒に祈って下さいと連絡をした。 さて想像してみてください。大勢の方があなた一人に向けて祈って下さっていること。 孤独の苦しみを味わう方が多くなった今日、私はこの方の徳の高さに思いを致しました。 お盆の最中の事であり、連絡をもらった時に私がたまたま行者さんの集まっていた家にいたことなど偶然も重なってのことですが、遇うも然りです。すべてはたまたまでは無く、偶然を装っての必然です。ただ私はこの方が何の原因をもって倒れ、そしてお陰にも沢山の行者に祈ってもらえる事となったのかこの時には分かりませんでした。 この話を聞けば、そりゃあいい。私も倒れた時には皆に祈ってもらおう。とまず助かった方の幸いを心から喜ぶよりも先に自分のことを考えた方も沢山いるのではないでしょうか。 他人のことを羨ましく思うのが人の性。どうであれ、自分を知ることは仏の修行です。 ただ始末におけないのは、何であの人には良いことがあって私には起こらないのかと《怒り》出す人でしょう。 まずはこの方のストーリーを聞いてみましょう。ご本人から直接に話を聴いたところ、 神仏を祀る小高い山を散歩がてらにお参りしていた所、いつもと違う痛みが心臓へズキンときた。痛みにうずくまり、このまま先を進むか、戻るかどうしようか迷ったのだが、これはやっぱりおかしいと思い病院へ。担架で運ばれて最後は目の前が真っ白になり始め、雲に覆われたようになる。そして光が見え始めて・・・あぁ自分は死ぬかもしれない。いやいや、ダメだ。 般若心経とご真言を一所懸命に唱えたそうです。 ノウマクサンマンダ・・・。 一時は心臓が止まり、家族も覚悟をしたそうです。何でも便利になり、すぐ欲しい物も手に入る時代に育った私たちは、まさか死ぬような心配をすることも無い。何でも当たり前になってしまい、大切なことに普段気付けないリスクを負っています。飢えを心配することもないので食物の有り難みも希薄であす。生きることが一大事であること。死ぬことが一大事であること。それをどこか忘れがちです。 元気に喋ることが出来るようになったこの方、病室で突然、 そういえば泰教さん、子ども達に勉強を教えたりするのをやっていましたよね、と切り出されました。子ども達に、夏のよい思い出に花火をして欲しいから持って行って欲しい。普段は海外の子ども達にワクチンが打てるよう、お金を送るのだけれど出来なかったからね。注射一つで助かる命があるんですよ。でも出来なかったから。せめて福山の子ども達にね、と。 この方はみんなが幸せになって欲しい、とただ口だけで言う方よりも行動がある。その方が良いと思う。「言葉」と「行動(身体)」が一致している。そして無私の施しである。見返りがないこと。三日不明であった2才の子どもを発見したボランティアのおじさんも同じであった。見返りを求めていない。 おおよそ、いわゆる善いことを行った瞬間に、己の心がどのような反応をしているのか。相手の幸いを喜んでいるのか。善いことをした自分にただ満足しているのか。表面からは分からない。この微細な心の働きがどのようであるかの確認は、菩薩の修行であり、自身の魂を成長させるものとなる。無私の施しに越したことは無いが、本性を知ることの方が第一である。 人間はみな完璧では無く、良いも悪いも持っている。この度、多くの行者から祈られる縁を見ながら、この方は悪業よりもそれ以上に積んだ善業が勝っていた。事実多くの命を救っていたのだろう。そう思わされた。ただ積んだ業の報い、善を受けたのだ。 ひとつひとつを大切にする。小さくても良いと思う。相手を笑顔にする。優しい言葉や態度で接する。今日からまたそういう積み重ねを大切にしたいもの。逆に、怒りや妬みは己の積んだ功徳の林を燃やすと言います。お気をつけて・・・。今日も一人許そう。 合掌 日切大師弘元寺 平成三十年八月廿一日 愛される人間であることが何よりの薬となる 言葉を喜び、行動を喜び よくしましょう |
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平成30年8月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。 |