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お釈迦さまの教え 四諦
 
 昨晩から疲労からか鼻水が止まらない。寝ている間も息が苦しく休んだ気がしない。
朝、もう少し寝て体を休めて備えるか、こんな状態でも早く起きてやることをするか…、
どうしようかと考えるこの時間が案外長い。鼻が通るか右へ左と顔を試す。
どうにも手の施しようが無いと分かるとまた気も滅入ってくる負の連鎖。
でも私はやるべきことがあると心の中、

「南無大師遍照金剛。もうどうにかなる。」と思い切った。

予想では今日一日しんどさと戦いながら過ごすのかと見込んでいたが、
いざ立ち上がってみるとあら?鼻がすっと通って寝ているよりも起き上がった方が楽だった。。
悩んだ時間は取り越し苦労。


 先日、仕事で大成功を収めた方の特集番組を観ることがあった。
人は成功理由をあれこれと言い、環境が良かった、人との出会いのお陰、
努力したんだね、運が良かった、思い切れるもんだねと言葉を並べる。
成功するために、また失敗しないために必要な情報を集める。
人との出会いを必ず大切にする。先を読む。
必要なことは山ほどあるだろう。ただ思うに、最後に必要なのはやはり決断する力、
その決断を実行する力、これに集約されると思う。

 人は起きてもいないことを恐れ不安に思う。そして躊躇する。
予測できないもの、未知なものに興味を持ってわくわくするのが無邪気な子供の特徴だ。
恐れを知らないからだと断じる大人もあるが、
私は安心感が心の内にあるかどうかが大きいように思う。


 お釈迦さまは四諦という道理(真理)を説かれ、苦集滅道を語られた。
①すべては思い通りにはいかないというこの世の道理〔苦〕。 
②ただしその苦には必ず原因というものがあるという道理。
 そしてそれは人間の尽きることのない煩悩、執着、愛着に起因されている〔集〕。 
③原因が存在するということは、逆にそれは滅っすることも可能であるという道理。
 この滅された状態が理想の境地である〔滅〕。 
④その理想の境地に至るのには正しい実践法というものがある。
 それは八正道というものである〔道〕。

 お釈迦さまが最初に行われた説法とはこの八正道であるとされる。
その道とは、
①正見、②正思惟、③正語、④正業、
⑤正命、⑥正精進、⑦正念、⑧正定、
という修行者の正しい生活と在り方を八つにして説かれたものである。

 分かりやすく言えば、
①正しく知る、②(正しく)考える、③言う、④行動する、
⑤生活、⑥反省と努力、⑦気づき、⑧心の統一である。 

 ①~④をみれば、原因があれば結果がある、結果があれば原因がある、
道を正しく歩めば必ず望む結果へと導かれるという道理を示されているのが分かる。

 私たち凡人はどうせやっても出来ないだろう、どうにもならないだろうと初めからあきらめてしまう。ただしく種まきを続けていれば必ず実は成るものである。
凡夫は結果を恐れ、聖者は原因を恐れるとはまさにこのことである。
どうしようかな、大丈夫かなと迷った朝の5分がこの道理を思い出させた。


 皆さんの今の迷いも必ずやさとりの一因となる道(正しい方法)がある。
まずはひとつ、ひとつ、為せば成る、蒔けば成るとやってみましょう。

 またこの四諦とは人間のありようを示した十二因縁(十二縁起)の意味を教義的にしたもので、
①無明、②行、③識、④名色、⑤六処、⑥触、⑦受、⑧愛、⑨取、⑩有、⑪生、⑫老死である。
以上は相互に原因と結果となっていると観察できるものだが、これはまたの機会にお話したいと思う。。

 「気付き」は暗闇に射す光となる。それだけに得るのは難しいものであるが、
それでもまず「意識を向けること」、「気を付けること」から始めれば
道理は次第に腑に落ち、光は手に入るものである。

ひとつ気付く度に自分がそれなりの成長段階にいる。
それに気付けることもまた嬉しいものである。行先光明。


    日切大師弘元寺 平成三十年五月廿一日




《 ひとこと》
・大先生が昨日(戸籍上)誕生日を迎えました。かぞえで九十九才。
日々、お経本を開いてお祈り下さっています。ひとのしあわせを喜べる人間でありましょう。

・一人の祈り(自分の為だけの祈り)は独り善がりの祈りです。
まず思いやり、愛情、慈悲の心を確認して、自他ともに救われる瞑想を行いましょう。

・当たり前は無い。自他の小さな喜びを大切にしよう。



   平成30年5月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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