過去の法話へ
 「 ご先祖さまのこと
   どれくらい知っていますか? 」
 
 ここ最近一番のびっくりは、
太陽が下から昇ってくることを知らない高校生がいるということでした。言い訳のように周囲は、ビルに囲まれて生活をしていると地平線も見えませんからね・・・、と。そういう問題でもないでしょう。
気にしていれば遠くの山から、またはビルの隙間から日が下より昇ってくる、そういう光景を見たことくらいあるのではないでしょうか。
「早起きは三文の得」と、よい諺(ことわざ)がありますが、子どもに限らずほとんどの方の生活スタイルが遅寝、遅起きとなっているのかもしれません。
疲れたら自然と呼吸を同じようにする。そうするとパッと元気になったりするものです。
お日さまの気はあたたかいものです。

 氾濫した情報とネット社会がすすむ中、目線はいつも手元に集約してしまう傾向にある世の中です。それにともなって現代人は興味の視野、こころひかれる世界がとても限られた狭いものとなってきているようにも感じられます。
おひさまへの関心も同じですね。手元も大切ですが空をみあげてみましょう。
地球に存在するすべてのものは太陽の恩恵によって生かされています。今ある命をみて
両親に対して感謝をするように太陽、また一切のもの、一滴の水に対しても、
言葉にならぬ感謝が溢れてくるものです。こういった感覚が起きる時こそ、人間が本来もつ能力をいかんなく発揮できた状態であると思いますし、どこかへ求めずとも得られる、そんな大きな喜びを手にできる瞬間でもあると私は思います。

 生きている視野がどんどん開いていくと気持ちのよいものです。
そして視野が狭い状態とはすなわち「矛盾」であり、また「争いの種」となると私は思うのです。
思い出してみてください。ケンカや仲違い、あの時わたしは相手に対して十分な視野をもって向き合えていたでしょうか。一番に相手を非難していてはダメです。ものごとにはそれなりの順序というものがあります。まずは自分の内側をみつめ、省みるべきです。
いたらなさがあればそれをもって改めましょう。それから相手のことを考えるものです。

 私にはこういった経験があります。わたしの身の回りに沢山の問題が発生していた時のこと。
わたしはその問題、また相手に対していろいろと試行錯誤する訳です。そりゃ毎日考えては頭を悩ませ、心を痛めることもある訳です。しかしこういった状況において大きな落とし穴のあることに私はある時に気付くのです。

  相手の問題ばかりを見ている時には
  自分の問題などが決して見えることはない。

そうなのです。「自分のことは棚に上げて」とはよく言ったもの。真の問題解決は、
「自身の問題が片付いた時に起こりうる」のです。
周囲の問題はすなわち自身の保持する問題をあの手この手で象徴、表現されたものですから、自分が「これは問題だ!」と感じることが起こったならば、それは自分を磨くチャンスなわけです。
考える体力があるならば、決して、といいますか安易に一つ一つの問題を切り離して考えず、絡(から)まった糸をイメージして、形の違う多くの問題でさえも一連の問題の関係性をもって思考するのです。こういったイメージ、思考は自身をぐんっと成長させます。できる時にやってみましょう。

 さて、終盤にもさしかかり、自分のご先祖さまのことを知っていますか?と題しましたのは、
先日、自分が6代目であると思っていらした方が来られたのですが、一緒に山の中へ入り、古いお墓を調べさせていただきますと、初代は寛延二年(1749)に亡くなられている。実は6代ではなく9代目にあたることが判明したのです。こういった事実があきらかになる、家の歴史を知る事ができると本当に嬉しいものです。
近年は特に、
「あなたは何代目ですか?」という質問に答えられない人が多いです。先祖の誰が、どこでいつ分家をして初代を築いたのかという質問になるわけですが、いかがでしょう。ご存じですか?
真の問題解決は、自身の問題が片付いた時に起こりうるとはここにも言えると思います。

立身出世したい、子どもが身心ともにしっかりして自立をしてほしい。等々・・・。
身を立てるとは立てる場所がしっかりとしていて初めて起こり得るものです。
あなたは何代目にあたりますか?何代目を守るものになりますか? まずはそこから。

 彼岸は太陽が真東から真西に沈む日。変わらぬ自然の摂理のなかに私たちは生きています。
少しずつこころの世界、視野を開き広げていきましょう。身を立て、かがやくものに歩みをすすめて・・・。




   平成26年9月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


トップページへ

戻る