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「心の真実を知るには・・・」 | ||
だんだん、修行がすすんでいくと、 こころ(わたしそのもの)が、 本来あった場所に帰っていく段階というものになります。 人間が、生まれて、年をとり、老いて、死んでいく。 死んで、初めてあの世に行くのでは無い。 もともといた場所に帰るのだ。 これはよく分かったことです。 お そのような境地を悠々とお進みになられ、 密教の教えにふれられては、 「自心の 自身はどのようにして存在なるのか。」 という、真実の探求に望まれました。 唐に渡られたお大師さまは、 「あなたをずっと待っていましたよ」と、 恵果和尚にみちびかれます。 それは広大な広大な世界を それは海の 細分化された表現、秘密(真実)の世界があるのだ。 お経に、 「 *菩提…覺・智・さとり・道。 これも同じく浅い深いの竪の意味と、 数の多さや広さを示す横の意味と・・・。 そうじてその無量を察せよということなのだが、 竪と横とは何かということを お経から、また分けて示せば、 「 われ というのが竪の説。 いま見える自分の心、 どうしようもないところから、その真実の境地、覺、菩提まで、 どれもこれもつつみこみ、生かす、諸仏の大秘密。 次に横の説とは、 「 心の 身の無量を知るによって、智の無量を知る。 智の無量を知るによって、すなわち 衆生の無量を知るによってすなわち *三藐三菩提…菩提に同じ。覺・智・さとり・道。 *衆生… *虚空…何にもはばかられず一切を包む空間。 衆生の自心というのはその数無量なのです。 限定されたものにとらわれず、 本当の数無量を知り、 無量の心識と、 無量の身等に気付いていく。 そこに行きつくならば、なんということか。 お経にはまた、 そのような私自身のもつ、また内在されるとも、包まれるとも、一致されるともいえる、 「身心のいきつくばしょ( また、 「もし みずから 心はどこにあるのか。 という話から始まったのですが、 お大師さまのさとりの教えに入っていけば、 心だけでなく、身心をふくめた わたしの全存在のいきつくばしょ。 また、 もとよりあるすがた。 また、 ほんらいのかがやく、曼荼羅の いかしあい。そのものに入っていくことができるのです…。 お大師さまの教えとすれば、 我々、未熟な者( だからこそ 私のからだの こころの ことばの行きさき、 その真実の義を知るときは、 すなわち一切の罪は滅し、すべてを知る( 今月は少し難しくなってしまいましたが、 お経の一節をたくさん引用しています。 ですから声に出して読まれるだけでも功徳があります。 何度か声に出して読んでみてください。 合掌 |
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平成25年12月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。 |