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  「自分の使命を果たそう」 
   〜 たゆむことなく明るく元気に! 〜

 
 明るい人生を過ごす為に大切にしたい事がある。
「誠実さ」だ。

愚かな人はついつい自分よがりである。魂の段階、精神の極まりが高い者は自分が何を目的として生きているのか、
また生きるべきなのかという命題に対して明確な答えを導き出しているもので、その目的地に向かって着実に歩みを進めようとする。
「たゆむことなく、あきらめることなく、怠けることなく・・・」、とにかく止めないことだ。


 このようなフレーズを聞くと『華厳経(けごんきょう)』というお経を思い出す。
大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)』というのが正式名で、広大なる仏そのもの、そしてその世界を説くお経である。
我々を限定させる、時間と空間の概念を超越し、仏の覚りの世界そのものが集約された蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)を説く。
そしてその蓮花世界の花弁一枚にも、同じく限りのない仏世界があることを教え、種々の宝や花をもって煌びやかに荘厳された世界が描かれる。
全世界は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の顕現であり、また小さな塵のような一つの物の中にも毘盧遮那(びるしゃな)の世界は映し出されており、一瞬の中にも永遠が含まれている。
仏教用語を用いれば、「一即一切(いっそくいっさい)」・「一切即一(いっさいそくいつ)」の世界を経典の中で教えている。
凡夫(ぼんぷ)には測り知ることの出来ない智恵と慈悲の仏のありようは、実は迷いの内にあるわれわれ人間世界の者たちを(あまね)く救おうと、すべて照らし、かつ包み込む仏の光明(こうみょう)世界の働きそのものである。


 あけび(木通・通草)という実をご存じだろうか。9月から10月に熟して淡紫色に色づく。
まさに今が旬の、白いバナナのような果汁、黒い大きな種が均等に多数ある甘い実だ。
ここで一つ重要な事をお伝えしておきたい。
実を食べる時には決して種を噛み砕いてはいけない。実を口に入れたら種だけを上手に口の中で分けて取り出すのがアケビを食べる作法。
知らずに種を噛んでしまった日には、渋くて苦い味が口の中に広がって、あと口の中が大変な事になってしまう。

世の中、知っておくというのは肝心だと、常々思う。
美味しい実も一つ食べ方を間違えると、口の中を渋みでいっぱいにしてしまう悪魔の実へと変わる。
余談が過ぎたが、私は「一つの中にすべて(一切)がある。すべてが一つのなかにある。」という真理を秋からよく見いだす。

気候も穏やかであれば、心もよく一息つくというもの。
仏教修行で言えば、よく全てをありのままに映し出せる浄らかな仏の心、浄心(じょうしん)という状態だ。
その心で味覚の秋を楽しんでみよう。一口の中にその実の一生(すべて)を感じるだろう。


 アケビの実を仏そのものとしよう。開けばまた複数の種、仏の世界が広がっている。
白い実をみれば思わず食べたくなる。白い輝きは仏の説法で、私の身心を奥底から喜びで満たしていく。
開かれた教えはまた広大な大地に落ち、新たな芽を息吹かす。

 実り(仏)を見て、その成長(人)と自然の恵み(私を導く縁)を思う。また同じく、春の新緑を見て、実(仏)のなるを知る。
 新緑の葉は、つまり太陽の光(仏の光明、説法)を一身に受けるわれわれです。
 新緑の葉のようにあろう。『華厳経』には、ある一説にこのように言っている。
菩薩の修行をやめる事なく、教えを捨てる事なく、勤めを懈る事なく、道を離れる事なく、然るべき有り様を弛む事なく・・・、仏の覚りに安住し、かつ休むこと無く仏の勤め(すべての命/衆生を真実に救うこと)をやめない事、それが勝れた如来の道であると。

 人生も同じであろう。
  たゆむことなく進んでいこう。覚悟を持って、自信を持って。

                                           

  平成24年9月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     

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