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 弘法大師のお姿を拝する 
 

 「弘法大師のお姿を拝する」  

我後生之門徒雖不見我現相
毎見我形像生真相之想
毎聞我教住我言音思
我以定惠力摂取不捨   御遺告文

 この頭髮の長い姿は、お大師様が
承和2年(835)旧3月21日(新暦4月22日)に
高野山の奥院にて御入定されて
(ごにゅうじょう。生前の禅定修行を継続されて、肉体が死してなお、生死を越えた永遠の禅定瞑想に入られて)、86年後の様相と伝わるものです。
 
  私の後、真言を学ぶ人々へ。
  たとえ私の真実に現す姿が見えなくても、
  私の御影(肖像)を見るたびに
  真実の姿を見ていると思いなさい。
  私の残した教えを聞くたびに
  私の言葉、声、その思いに住しなさい。
  私の誓願と その密教の修行の力によって
  私はすべての衆生を必ず救い、
  誰一人として見捨てることはありません。
 
 お大師さまの髮と髭がお伸びているというのは御入定の後、七七日を過ぎても容姿が変わらなかったと記す『金剛峯寺建立修行縁起』(968年成立)、そして86年を過ぎた延喜21年(921)に醍醐天皇より弘法大師の諡号を賜った時の有名な話があります。

 また弘法大師の様々な伝記は、古くは清寿という僧が長保4年(1002)に記した『弘法大師伝』をはじめ、13世紀後半に作られたと考えられる『弘法大師秘密縁起』や『弘法大師行状図画』、絵巻などがあります。
 
 さて延喜年間のお姿と伝わる御御影ですが、
大師ー真雅ー源仁ー聖宝ー観賢ー淳祐と血脈する、
観賢(かんげん)、淳祐(しゅんにゅう)のお二人は
醍醐天皇より「弘法大師」の諡号を賜った報告に勅賜の衣を持って高野山奥院へ参詣します。
廟窟を開くと観賢僧正の目の前には髮が伸びて座禅瞑想されるお大師様が現れた。弟子の淳祐さまはそのお姿を見ることができず、それを察した師の観賢さまは弟子の手を取り、大師の膝に触れさせたと。そうすると不思議なことに何とも芳しいお香のにおいが手に残り、淳祐さまはその手をずっと洗わなかったとも言われます。
 
 千年、八百年もの昔、祖先たちはどのような生活を送っていたのでしょう。
その時に、弘法大師さまは実際に世の人々へどのようなお働きをされたのでしょうか。
今日もお大師様を信仰し、病気が治った、歩けるようになった、安産した、迷っていた祖先がお大師様の後ろを歩く姿が見えたなど、お陰話は尽きません。高野山から四国、津々浦々において、導き救いの手を差し伸べられていらっしゃるお大師様です。あらゆる時代において御霊験を顕されて来たことでしょう。
 
 その御霊験をいただく入口として、私たちは
お大師様のお姿を見ること、拝することが大切に思います。
皆さまもきっと、親や先祖の写真を見つめた時に何か言葉や声が浮かんだ経験がないでしょうか。それと同じで、ましてや世の人々を余すこと無く救いたいと誓願を立てられるお大師様ですから、その力が私たちに届かないはずがありません。 もっとも真言宗の僧侶においてはお大師様にすがるだけで終わることなく、お大師様の心そのものになれるよう、言葉、行動そのものになれるよう修行することが必要です。ずっと親のすねをかじるような子供でいては、いつ親孝行ができましょうか。

 浅はかな生き方とならぬよう、
 毎日、呼吸は深くして、浅くならず、
 こころしずかにして、五官を研ぎ澄まし、
 大切な声を聴ける生活を送りましょう

      令和六年七月二十一日

「修行(お祈り) ご案内 」
※お盆参りをご希望の方は早めにお申込ください

7月24日(水)「胡瓜封じ 護摩」10時から
 祈祷キュウリのお持ち帰りはなるべく24日の内にお願いします

8月4日(日)「滝修行」朝5時 お寺出発
        「水子供養/地蔵護摩」10時

21日(水)「万灯会 護摩」19時30分から
 万灯会の申込みは本堂の紙をお使いください

22日(木)「荒神供」20時
27日(火)「大黒天 一時千座法」23時

9月21~23日 詳しくはチラシにて
 「入佛百周年 ご本尊 御開帳」

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   令和6年7月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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