過去の法話へ | ||
「生きる為の精神統一」 | ||
約2500年の歴史がある仏教。この仏教がいつも一貫して、 軸をぶらすことの無かったものがある。 それは人(己)を中心にとらえることだ。 一切の真理は自らの内にある。 一切を考察する上、すべては自身から起点することは変わらない。 対して科学は無機的な原子レベルでの比較構造を解き明かす。 研究をする上で自分自身がどうであるかは関係ない。 仏教の世界観、理論というのは何れも、自分自身を置いてきぼりにして考える事はできない。 自分自身を見つめ、私という存在が、精神が、どのようであるのか。 ただただ、事実を知っていく、確認していく事がとても大切なのであり、そこに行き着いて、初めて、真の祈りになる。 「仏さまと共にある祈り」 「仏さまにあるような慈悲と智恵の祈り」である。 私の生まれてきた宿命。 生まれてくる時より自分で設定している命題。 過去世の因縁。年を重ね、自分勝手になった時には その自分自身への宿題もすっかり忘れている。 あなたは何をしに生まれてきたのでしょうか。 他人に迷惑をかける為だけに生まれて来たのですか? 自己を否定するためだけに生まれて来たのですか? 人をののしる為だけに知恵をつけたのですか? 答えは「違う」はずです。 人と人は本来、生かし合いたい。喜び合いたい。尊び合いたい。 何故、できない人が多いのでしょう。 自分の心に問うてください。これから大人になっていく人たちは、 どうぞ手を合わせて成長することを忘れないでください。 楽しく、仏さまに向き合って下さい。 誠実に、自分自身に向き合って下さい。 仏さまに向き合う限り、少々失敗しても、時に間違っても許してくれます。 助けて下さいます。 そして、日本の国の歴史を知って、 八百万神(やおよろずのかみ)さまを大切にしましょう。 ご先祖さまを大切にしましょう。 そして信じる仏さまと共に歩む、 これが日本らしい仏教です。 そして日本人らしくもあります。 さて、般若心経などによく言われる 「無」や「空」になど、いきなり行き着けませんし、 理解するなど無理なこと。そんなのはある程度、 精神修養や仏教の教えを知ってから。次の段階のこと。 まずは自分自身の整理整頓が肝心です。 ただ、なかなか自分の心というのは 思い通りになるようなものではありません。 いや、私は思い通りになっていると思った方は 試しに10秒、心に、頭に何も思わないでみてください。 なかなか心をコントロールするのは難しいことに思います。 では、その原因を知らなければならないでしょう。 ここで注意し、知っておかなければならないことがあります。 いかなる問題にしても、 原因を含めて、その問題の全ては 自分自身に置いて考えられ、 解決方法さえも、また然りであるということです。 自分の未来も、何気ない普段の一言一動がそのまま未来に直結しています。 当たり前のことですが、 自分が今どのような努力をするかによって 未来は決まるのです。 しかし今ある現実、自分自身にしても、 常に錯覚、誤解しながら 私たちは日常を送っていると仏教は教えます。 心の定まらない私たちは、つまり例えるなら 百貨店で親を見失った子どものようです。 行き先も、今いる場所も分かっていない。 できるのは自分の見える範囲で親を探し歩くか、 その場で泣き叫ぶのかのどちらか・・・。 仏教は、あなた自身が何故迷ったのか、どこでどうなったのか、 それら知る術を示しています。精神を安定させ、智恵のある人になる教えが仏教なのです。 最後には仏さまの涅槃寂静(ねはんじやくじよう)の境地にたどり着きます。 まずは散乱しない心を育てましょう。 仏さまと共に悩みの種に向き合いましょう。 喜べることは素直に喜びましょう。 仏教は当たり前のことしか教えていません。 修行するお坊さんたちを見つけ、慕って、 自分を素直に見つめる術を共に得ましょう。 |
||
日切大師弘元寺 平成廿四年六月廿一日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。 |