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 情をもって生きる
 
 秋分を過ぎ、二十四節季では寒露となりました。

七十二候では「蟋蟀在戸(しっそくこにあり)」、

蟋蟀とはコオロギや鳴く虫の総称です。ちなみに現存最古の歌集『万葉集』では蟋蟀を「きりぎりす」と読んでいましたが、江戸中期に賀茂真淵(かものまぶち)が「コオロギ」と読ませました。

いずれにしても古語にいう「蟋蟀(きりぎりす)」とは現代のコオロギを指します。つまり蟋蟀在戸とは、(気候も寒くなったので)コオロギが(少しでも暖かい、人の)家の中で鳴き始めるといった時候になったことを教えています。

 一方、毎年お寺ではクツワムシ(キリギリス科の昆虫。体は緑色か褐色、翅は幅広、雄はガチャガチャと鳴く。関東以南から九州まで分布する)がこの時期になるとやたらめったら現れます。
トイレ、お寺の入口、まさに戸に在りといったもので、
更に不思議なことには緑色のクツワムシ、高い所に登ってじっとしているのです。

 どうみても、寿命は今日か明日かというなかで彼らは高い所に登っている。それは寒さを凌ぐためなのかもしれません。だけれどもしかすると一生の終わりに高いところからの景色を見たいのだと登っているのかもしれない。
人間の勝手な想像だがそれでも、どうやってそこに登ったのだ?と思うような場所に、いつもこの時期になると彼らはいるのです。

 今朝は外のお大師さま像の頭の上に彼がいた。いったいどうやって。いや、なぜそこに? 虫たちはそんなことをいつも私に思わせてくれます。
同朝、仏様に供えるお水の器に、いつの間にか小さな小さな虫が着地している。拝んでいる最中、仏様の近くで寿命を終えようとこの場所を選んで降り立ったのでしょうか…。
 それでも仏様にお供えしたものに虫がいてはいけないと普通ならば取り除くところ。ただここは仏様が慈悲の心でこの虫の寿命を抱いているのだろうと思えば、虫を取り除くことの方が仏様の慈悲に背くことと思い、お亡くなりになった小さな虫はそのままにお祈りを続けた。

「知識を巡らせ、気にすること」と
「慈悲の心に従うこと」は、やはり少し違う。ズレがあるように思います。

 一瞬一瞬の確かな判断をするということは知識や理論武装をすることだけで適うものではないでしょう。「情」が円やかにして心の中心になければ、人間というのは多くが自分の頭の中の「都合」だけで物事を処理してしまいがち。
だから気付かぬうちに誰かが傷つき、あの人には情が無いとか欠けているだとか言われてしまう。情とは相手を包み慮ることで完成されるように思います。慈悲の心も然り。自分だけでない、誰かのことを祈ることで、それらは完成するのです。
 さて、朝のお祈りが終わると、お亡くなりになったと思っていた小さな虫は飛んで行きました。舞う姿を目に追いながら、頭だけで判断して、手で取り除いていれば、私はこの虫を殺していたかもしれないと思いました。
 あなたの大切な人のためにも、あなたの「情」をお大事に。
仏様に「慈悲の心」を習い、お過ごしください。

お護摩、火渡り、一緒に修行しましょう。

令和四年十月二十一日


《ご修行案内》

10月23日(日) ~29日(土)「前修行」朝5時~
29日(土)「大祈祷会」18時~ 御加持を受けられます
30日(日)「入佛記念法要」9時半~13時半
「柴燈大護摩供」「火渡り修行」
詳しくはホームページをご覧ください。

11月6日(日)「滝修行」 5時30分お寺出発
「水子供養・地蔵護摩」 10時
「大黒天 一時千座法」 23時
7日(月)「焼八千枚護摩の結願」於佐用町常光寺
11日(金)「弁才天 護摩」 20時
21日(月)「お大師さま御縁日。お護摩。」
  ①10時 ②20時 どちらかにお詣りください
 写経奉納。祈願護摩木。先祖供養塔婆。

《 23日(日) お手伝いのお願い 》
①お寺の清掃。内外のお掃除をします。 ・9時~
②山で力仕事。木を倒し、檜の枝を伐採します。
軽トラ、ナタ、高切ハサミ、枝切りハサミ、軍手、チェーンソー。
持参できるものがあればお願いします。
 ・場所 矢掛町 ・8時お寺出発、9時現地。

 8日間の柴灯護摩修行が始まります。
世のため、人のため、お詣りの方々、自分のためにと修行します。
日頃、お大師さまにお陰をいただいている皆様はお大師さまへの恩返しとしてお掃除いただくのが宜しいかと存じます。
報恩謝徳の道にとよろしくお願い申し上げます。

 
   令和4年10月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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