「自分が何をみているのかを知ることも一つの気付き」
 
 梅雨に入り、雨の多いこともあって、お寺の横を流れる川の音も心地よく、
朝起きると大地と木々がたくさんの水を吸って、深々と強く穏やかに、呼吸をしているのを感じます。
目で見て心で感じ、耳で聞き心で知り、鼻で香り心で知り、舌で味わい心で知り、体で触れて心で知り、心で感じて心を知る。体のすべて、一つ一つが、自分となって生きています。
私の体を大事にされていますか? 私の心を大切にされていますか?
自分の体に耳を心を傾けているでしょうか。 自分の心に心を傾けているでしょうか。

 仏教の教えは、最終的に涅槃(ねはん)に行き着くことですが、
その中で因縁(いんねん)を観ずることは一つの重要なポイントです。

仏教は手放すことの連続、知ることの連続です。
よい心がけを日々の生活にいかしていくことにより、少しずつ「心を知る」ことができる。
因縁というのは原因と結果の総称であり、因縁を知るというのは物事の成り立ち、前後関係を知るということです。
涅槃とは煩悩(ぼんのう)を断じて、寂静(じゃくじょう)となったところをいいます。
煩悩を断じるために、仏さまに誓いを立てたり、懺悔をしたり、お経や真言を唱えたりする訳ですが、
つまりそれが何になるのかというと、「気付く」「知る」という目的の達成に他なりません。
そして、その気付きがあり、智恵が備わったら、
「その智恵と心と体が一緒になる」ということが大切になります。
バランス、調和はとても大事なことです。
自分の体も、人間関係も、大自然も、絶妙なバランスをとっています。
調和を知る、調和をすることは、身心、金銭的なことも含め、豊かとなる為の一つのキーワードです。


 ある友人が大変な手術をした時のことです。
心ある素晴らしい友人なのですが、術後、肉体的な痛みに大変苦しんでいた折、こう言いました。
「体は痛いのだけれど、これは元気になろう、元気になろう、と体が言っているように感じるんだ」と。

またある時には、
「体って凄いんだよね。ここ(手術した所)が全力を出せてなかったら、他の所(体の部分)が全力を出せていない所の分も頑張ろうとしている。それでバランスを取ろうとしている。私はそれを凄く感じるんだよね」と。

この友人は痛いところだけを見ているんじゃなく、頑張っているところをよく見たんですね。
物事には両面性があるのです。その中で何を見るのかは自分の心次第のようです。


知っていてもできない、分かっていてもできないことがあるのが人間です。
でもそれを乗り越える勇気と智恵を育めるのも人間です。
自分のことをよくよく知ると人はゆたかになります。
本来より備えている自分の内のゆたかなものに触れる智恵を与えてくれるのが仏の教えです。
皆さまによき仏縁が今日ありますことをお祈りしております。


  日切大師弘元寺 平成廿三年六月廿一日
南無大師遍照金剛ありがとうございます。
     


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