「仁王経にんのうきょう
 
 『仁王般若経』にいわく、

「もし国が乱れんとする時は、
先ず鬼神(きじん)が(見えない荒ぶるものが溢れ)乱る。
鬼神が乱る故に、万人も乱る…。

大火大水及び大風等(火や水、風にまつわる天災など)…。
石を流し山を浮かすとなり…。

屋をあばき、樹を抜き砂を飛ばし石を走らすとなり…」
と、まさに今の状況を思います。

そして以下のような真言(しんごん)を唱えるべきと説かれ、
「我(仏)に陀羅尼(だらに)あり。
よく加持擁護(かじようご)する。(世を、すべてのものを、助け護る)

法の威力(いりき)をもって、まさに国界(こっかい)をして
永くもろもろの難(なん)なからしむべし。」

「あらだい きゃらだい あらだ きゃらだい まかはらじにゃ はらみてい そわか」

 このお経は奈良時代より、災害を滅っし除き、
国が安泰であり、また人々が安寧(あんねい)に暮らせるよう大切にされ、講じられてきたものであり、
真言宗では密教(みっきょう)の法をもってお大師さまより祈られてきたものです。

いま、日本各地の僧侶は被災された方々の事を思い、
また国全体の人々の(良心と善意をも超えた)仏の心を祈り、
反省懺悔(さんげ)の意(い)と共に日夜、祈りを深め神仏を拝んでいます。

またある僧侶はこれからの永い目で人々の救済を思慮(しりょ)しています。
実際にいますぐ行動できない事もありますが、
お経にもあるように、祈ることは、拝むことは今こそ、いや先ず最初に必要なことなのです。


 沢山の方々が亡くなられ、未曾有(みぞう)の事態に日本人のほとんどは他者のことを、命を気に懸け、自分には何ができるのかと心を発(おこ)しました。
被災地ではこの世が無常にして不条理であると、絶望しながらも、ただ、ただ一所懸命に、今を生きておられます。
217時間経過して救出され、無事に生きられていた方のことを考えて下さい。
ここ数日、心無き者の、物があるのに食料を買い占め、ガソリンを買い占め、命が危機に瀕(ひん)している人の事をおとしめる所業(しょぎょう)。
恥ずかしいことです。自分の命を守ることは大事です。
しかしながら物を奪うこと、これはなんと自身の魂と精神をおとしめる行いであるでしょうか。
人を想えず、救えずして、如何(いか)にして自分の精神と魂は救われ得るでしょうか。

 実際にいまニュースを見ても不安を煽(あお)り、正しいかも間違いかも分からない情報が飛び回っています。
神戸の震災に遭(あ)い、祖父を亡くした僧侶が言っておりました。
「助けあわなければならない。惑わされてはいけない。
いま一瞬を、一所懸命に、現実を、見なければならない!。
心の灯明(とうみょう)を点さなければならないのだ」と。

灯明とは仏の智恵(ちえ)。揺るがない善き智恵であり、消えない智恵である。
いま人々の心にある灯明は搖れ、不安の中にあります。
また消えかけている人もいます。そして他者を傷付けるような行いに走ってしまっている人もいます。
今こそ、無意味にして迷いの因(たね)である戯論(けろん)を世の中から、自分の心の内から、消さなければなりません。

鬼人がより喜び溢(あふ)れかえり、また惑わされる人間が増えてしまいます。
精神、心は、物質世界を先行するものです。
心穏やかにし、一所懸命に生きることの意味を再確認し、他者に手を差し伸べなければなりません。

私からのお願いは、大師の宝号(ほうごう)や信ずる仏、また仁王経の真言を唱えて頂き、世と人々の安寧を祈って欲しいこと。
また、沢山の亡くなられた方々の魂と焦燥、悲愴感を仏さまや大師の御力(おちから)をもって安らぐよう拝んでほしいことです。

忘れていないだろうか、大切にしなければならないものを。
改め、考えなければならない。自然と大いなるものへの感謝と敬意を。

兎角(とかく)、いまは一所懸命に皆で、今を生きなければならない時である。


  日切大師弘元寺 平成廿三年三月廿一日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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