祈りのなかで
       
 あっという間に八千枚護摩の修行から二週間が経ちました。自分に関わるすべての方への恩返しの為に、と思って修行に望んだものの、結局また沢山の人に支えられ、助けられ、この修行を終えました。この気持ちを感謝という言葉にしかできませんが、本当に皆さまありがとうございました。「生きていること」を長く、大きく見つめる百八日間であり、迷いと仏さまの導きの中で大切な事は何なのか、真実は何なのかと日々、座り続け、仏の世界を見続けた修行は、私に沢山の反省と感謝と気付きを与えました。

 一番の気付きは「相互供養」の大切さ、相い互いに供養し合う、すべてのものと供養し合うことの大切さです。神仏を始め、身近な家族、兄弟、ご先祖様、鳥や虫、木、水、風、石、すべてのものと常に相い互いに供養し合うことです。では、どのようにすることが供養なのでしょうかか。真言を誦えること、お経を読むこと、真実の教えを伝え、恐怖、悲しみを取り去ること。またそればかりではなく、良い言葉、優しい言葉をかけること、陰口、悪口を言わないこと、よく体を動かすこと、ゴミを捨てないこと、慈しみと深い愛の心を働かすこと。これらもすべてが供養です。もっと分かりやすく言えば、相手を喜ばすこと、相手のことを考えること、お手伝いをすることが供養です。

 良き供養ができれば、世の中を、自分を変えていく事ができます。すべての起こりうる事は何れにせよ「自分の鏡」ですから、悪いことが起きれば反省をし、考え、学ばなければなりません。良きことがあれば、よく喜び、感謝を益々しなければなりません。また、修行をする者はそれだけでなく、神さま仏さまの相互供養の世界を実体験し、味わわなければなりません。
  
 お互いに供養しあう。これが修行百日目を過ぎた頃、殊に大切であると気付いたことです。仏さまの世界というのは、常にお互いがお互いを供養しあっています。それは尽きることの無い供養であり、輝きに満ちた世界です。私たちは気付かないだけで、本来、生きとし生けるものすべては仏と仏の尽きることのない供養の世界に、輝きの世界に身を置いているのです。
これこそが私たちが気付かなければならないこと、知らなければならないことなのでしょう。そして学び、日々の生活、家庭、会社の中などで生かせられれば、なんと素晴らしい気付きと、日々が送れることでしょうか。
仏さまの世界、お互いがしあわせに生かしあう世界を実現していくことが仏教徒の努めであるでしょう。そして大事なこと、私たちは迷い悩む人間であると共に、無限の可能性を秘めている仏の子(大いなる命)であるという事に気付くこと。生きる限り、悩んだり、壁にぶち当たったりするのは当たり前です。しかしながらその悩みや壁が無ければ成長もありません。普段思う、都合の悪いことや問題も実は悪いことではありません。自分が気付き足りていない事を知らせて下さっているだけなのです。
つらい、苦しいと思うこと、大きな壁も感謝して向かって行ける。そんな自分を育んで下さい。でも、なかなかそうは行かない。そんな時に大切なのが家族や兄弟、友人の支え、またお寺のお坊さんの存在でしょう。家族、兄弟は大事にして下さい。友人を大切にして下さい。求め合うのじゃあない。仏のように、お互いに供養しあう。これこそ、家庭でも学校でも会社でも、夫婦でも恋人でも大切なことです。

 神仏、先祖を敬い、丁重に供養していく。その中に、輝く供養の世界が存在します。地域や家庭などで神事や仏事(お祭りや法事)があれば、どんどん参加していきましょう。神さま仏さまの輝くひかりが、私たちを導いて下さいますから。今日もありがたい。感謝と祈りを 

  
  日切大師弘元寺 平成廿一年七月廿一日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     

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