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 「ツンデレのわたしたちへ」
 
 ツンデレというのは、近年世間でも広く認知される言葉であり、インターネットでその意味を調べると、特定の人間関係において敵対的な態度(ツンツン)と過度に好意的な態度(デレデレ)の両面を持つ様子、又はそうした人物を指す。とWikipediaで説明している。
ゲームやアニメのキャラクターでそのような女性キャラクターがよく用いられるようで、普段はツンツンしているのに好きな男性の前ではデレデレする、好意を持った人物に対してデレデレした態度になってしまわないように自らを律してツンツンした態度を取る。天邪鬼(あまのじゃく)として接するなど、色んなパターンがあるそうだ。


 今月は何の話なのかというと、「デレデレする」とはちょっと違うかもしれませんが、私たちは知らず知らずとすべてを受けとめてくれる神さまや仏さまにデレデレしていませんか?というお話。
そんなのはイケマセン!っていう話じゃなくて、もっとデレデレしちゃいましょうという皆様へのご提案。


 普段は学校や仕事、人間関係など色んな場面で強がっている私たち。
一所懸命、必死に生きている私たち。自分の殻に閉じこもってツンツンしている私たち。そうツンツン強がっている私たちがこっそりデレデレできる相手(場所)が仏さまとの空間だと思います。
溜めるっていうのはたいてい体に良くなくて、便秘だって体に悪い。出すことは大事で、それにともなって出せる場所があることも大切なわけです。目的地がある、出かけられる場所があるというのも大事。弱音を吐いてもいい、涙を流してもいい。甘えてもいい。
ちゃんとあなたのすべてを聴いてくれる場所。お寺。仏さま。
あなたはあなたの仏さまを持っていますか?
すべてを受けとめてくれる仏さまにあなたは出会ったことがありますか?
本当にやさしい心に、あなたはふれたことがありますか?


 弘元寺のお大師さまは少なくともそれを叶えてくれるし、
住職さんもそういうものを持っている。
お寺はそういう場所だ。


 そもそも何故ツンデレなんて言葉を取り上げたのかというと、
ぼくらはいつまでもツンツンしていても仕方がないなって思うこと。
いい年になって強がっていても仕方がないってことです。
さっきも言ったように生きるのにはデレデレできる場所も必要だって思うこと。
本当は、現状に困っていてお寺に相談に来られる方や、たまにその人が持つ前世からの悪業・悪因縁が見えた時、こりゃ仏さまに助けてもらうしかない、神さまに助けてもらうの他ない、本気で祈るの他に無いな…と思う場面に遇うことが最近多いというのもありますが…。


 さて、自分の力で生きているんだといい年しても勘違いして生きている人間では駄目だということ。
何一つとして自分の力で成っているものなど無いことに早く気付かねばなりません。これは特別なことを言っているのではなく、ごく当たり前のことを言っているのですから。 いまある自分の、生きている、命の本当の正体、意味をはやく知るべきです。
好意的な態度(デレデレして)でお寺の畳にはやく正座してみるべきでしょう。


 神仏にすがる。神仏に助けてもらうの他ないなと私は色んな人をみていて思うのですが、
若い人はよく勘違いします。助けてもらうの意味を「すがる=弱い」人間になれ、と言っている訳ではないのです。
さきほども言ったように自分の力で「いまのあなたがある」のではないのです。
たくさんの不思議、おかげがあっていまがある。先祖があってあなたがある。
つまりそういうすべてのひっくるめてに対して、手を合わせてほしい。
そのすべてが神仏なのです。
この文章では意味が分からないかも知れないが、
まずはツンツンを少し控えて、デレデレしてもらいたい。






   平成26年7月21日 南無大師遍照金剛ありがとうございます。     


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